ムネモシュネ

記憶とはこんなにも不死

私の持たない美徳

バイトの先輩である山内さんは誰にでも親切なおばさんだ。声は大きく張りがあり、髪は赤っぽく染めている。笑うときには顔の筋肉をめいっぱい使って笑う。不機嫌にしているところなど、きっと誰も見たことがない。

その山内さんが休憩中、いつもの笑顔で話しかけてきた。私はいじっていたスマホをさっと仕舞った。

最近うちの子が反抗期でねえ、と山内さんは笑いながら言う。
ほら、うちって一番上の子が病気持ってるでしょう。話したことあったかしら。そう、肺の。生まれつきでね。世話が大変で。学校も送り迎えしなくちゃだし。
それでつい下の子たちは、ほったらかしまで行かないけど、そんな風になっちゃってね。でもメグミはフツーなの、ただ、ソウタがねぇ、反抗期がひどくて。悩んでるの。ちょっと聞いてくれる?

毎日のように暴れて、家の窓なんかも全部割って回っちゃって。深夜なのにガシャガシャうるさいから何事かと思ったのよ。あの子の部屋なんて壁じゅうにぼこぼこ穴が空いててね。もう人様なんて呼べないったら。

山内さんは笑いながら話しつづける。

昔は素直で明るくていい子だったんだけどねぇ。反抗期ってどこもこうなのかしら。あ、でも、この間近所のタケダさんはソウタに荷物を持ってもらったって、喜んでたのよ。そういう優しいところもある子なの。

あの、メグミちゃんというのは。
ああ、真ん中の子。こんど十七になるんだったかしら……高校生でね。ソウタが末っ子なの。やだ、話したことなかったっけ?
私はうなずく。山内家の家族構成など、たった今初めて知ったところだ。山内さんが「ソウタくん」の「反抗期」についてぺらぺらと喋るものだから、正直面食らっていた。
そんな私にもかまうことなく山内さんは話しつづける。

ソウタくんの良いところ、ソウタくんの悪いところ、ソウタくんの幼い頃のエピソード、ソウタくんの成績のこと、ソウタくんの担任の先生の話、ソウタくん、ソウタくん、ソウタくん。

結局山内さんの口からメグミちゃんの名前が出たのは一度きりだった。
私は会ったことのないメグミちゃんに思いを馳せる。
このような母親をもって、そうして隅に追いやられたまま忘れ去られて、一体どんな気分だろうか、と。
一体どんなに母親が憎いだろうか。
私がそうぼんやりと想像を膨らませている間も、山内さんはソウタくんのことを話しつづけている。