ムネモシュネ

記憶とはこんなにも不死

『インド倶楽部の謎』有栖川有栖

アリスと火村に、それぞれささやかだが見過ごせない変化があった。

まず、『菩提樹荘の殺人』のときと比べて、アリスが火村に焦りを抱かなくなっている。「このどこか危なっかしい男を友として見守っていたい」というアリスの思いにはこれまで焦りが含まれていた。自分は土壇場で彼の手を取れないのではないかという焦り。それが、憑き物が落ちたかのようにアリスから消え去っているのだ。物語ラストの、二人で別々に帰路につくことを提案したことがその表れだろう。
そして火村は、以前は無神論の信仰とでも言いたいような、激しい執念を抱いて捜査に当たっていた。(人は死ねば全て無になり、その先はないという論を掲げていたようにも思う。)
それがここに来て「来世があるかどうかは現在の科学では証明できない」と科学的で冷静な態度に転じている。

火村シリーズは江神シリーズと鏡合わせ(作家アリスが江神シリーズを執筆しており、学生アリスが火村シリーズを執筆しているという設定)だったが、今回になって「これまでの事件にはアリスが独自に名前をつけている」という設定が加えられた。『ダリの繭』も『乱鴉の島』も『ロシア紅茶の謎』も、作家アリスがひそかにタイトルをつけているということになったのだ。アリスがそのことを明かしたときの火村の態度は、「つまらなそうな顔をするかと思ったら、火村は真剣な目で私を見返していた」とある。これはつまり物語を司る役割が学生アリスから作家アリスに完全に移ったということではないだろうか。
「火村英生に捧げる犯罪」では、アリスはただそこにいるだけで事件解決の重要なキーとなっており(詳細は読めばわかる)、このタイトルにこう来るか、と興味深かった。

アリスは火村の親友というポジションから物語を司る神へと片足を移した。であればアリスが火村を手放したのも、火村が無神論(とそれに関わるもの全般)への信仰から脱却し、むしろより懐疑的な態度へと変わったのも納得がいく。
アリスは長く真っ直ぐな道を歩くように成長していく。火村は、アリスを盲目的に信頼するということは、きっと永遠にない。